あめがあがったら のこと 2 

2016年7月28日(木)
22-23部分
ことしもまた
龍谷大学国際学部長 久松英二先生のおてがみを
みなさまにお届けできますこと、
もはや、わたしのよろこびでございます♪
さんざん申し上げてしまいましたが
自分のえほんづくりは
もはもはと、雲をつかむような作業。
なかでもけっこう死に物狂いになってしまった今回のえほん、
「あめが あがったら」。
ことばにできなくて絵にしているような自分の作業を
ぜ~んぶ言語化してくださる久松先生のおてがみは
とかく『感性VS理性』などと型づくられがちな「絵本論」を
いっぺんにふきとばすすごみすらあり、
「もはもは」を端正に解説してくださるものでもあります。
自分にたいして説明のつかないわたしにとっては
泣きたいほどの安堵と、次へのおおきな推進力です。
「そうか。これでいいのだ。
このままいっしょうけんめいぼんやりもやもやしていよう。」
ありがとうございました。
深い感謝をこめて、ながい前置きおわり。

※おはなしの展開を「じっさい読むまで知らないでいたい」というお声のために、お手紙のエッセンスを抜粋しました。
「あめが あがったら」を もうよんでくださった方は
ながれに沿った久松先生のおてがみほぼ全文をどうぞ!こちら
14-15
龍谷大学教授・国際学部長 久松英二先生のおてがみ(抜粋)

「あめがあがったら」。
このタイトルは、単なる雨上がりの様子を描いているのではないことは読み進めるうちにわかってきます。
「梅雨」という言葉は出てきませんが、
この絵本は、誰しもが小さいころ感じたであろう梅雨明けの晴れやかでわくわくするイメージをみごとに視覚化した作品です。
そのイメージは時間の経過とともに、パン種を入れたパンのように膨らんでいき、ついにパーンと弾けます!
最初はしっとりと濡れた麦の穂先からぽたりぽたりとしずくが落ちる。たったいま雨が止んだ瞬間です。
雨音がピタッとやんだ瞬間の静寂が「ぽたり」を引き立てます。
それから少しずつ「動」が始まる・・・・・
すべてが梅雨明けを寿ぐ。
視覚、聴覚、触覚、嗅覚も総動員して寿いでいます。
この絵本を読む人は知らず知らずに五感すべてが刺激されて、
そのお話の中に自らが溶け込んでいく感覚を味わうでしょう。
そういうとっても不思議な力を持った絵本です。
かつ「静」と「動」の落差、
「寂」と「鳴」の落差がこんなに大きい作品も珍しいですね。

麦は、自然の恵みに生かされているものの象徴。
雨と風と太陽に生かされて育つ命が、自然の営みを喜び、寿いでいます。
自然の恵みをいっぱい受けて「麦はぐんぐんおおきくなるよ」。
そして、もちろんぼくの命もぐんぐん育つ。
・・・最後の言葉。
なんと健気で素直でそして感謝にあふれた宣言なんでしょう!

(ほぼ全文はこちら
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