「あめがあがったら」へ久松先生のおてがみほぼ全文

「あめがあがったら」。
このタイトルは、単なる雨上がりの様子を描いているのではないことは読み進めるうちにわかってきます。1部分
「やっとあめがあがった」の「やっと」も「もり」の「ためいき」も、
雨がずっとずっと降り続いていたことをほのめかしています。
そして決定的なのは、「ぼくたち、きょうをまってたんだもんね!」という主人公の男の子の言葉です。
「きょう」とは「おおきなかぜ」が吹いて「おひさまのばん」が始まる日。
すなわち梅雨明けの「きょう」ですね。
「梅雨」という言葉は出てきませんが、
この絵本は、誰しもが小さいころ感じたであろう梅雨明けの晴れやかでわくわくするイメージをみごとに視覚化した作品です。
そのイメージは時間の経過とともに、パン種を入れたパンのように膨らんでいき、
ついにパーンと弾けます!
最初はしっとりと濡れた麦の穂先からぽたりぽたりとしずくが落ちる。
たったいま雨が止んだ瞬間です。
雨音がピタッとやんだ瞬間の静寂が「ぽたり」を引き立てます。
それから少しずつ「動」が始まる。
8-9部分「きた きた ほら ほら」と助走が始まり、
いっきに「どん」と青い大空に向かって飛びたつ。
おとなしくしていた塔の旗が高らかなファンファーレと共に風になび いてなびいて大きく揺れる。
風を切ってものすごいスピードで飛び回るがちょうと少年。
塔の釣り鐘も風になびいてなびいてガラン、ゴロンと荘重な響きを楽し気に奏でる。
すべてが梅雨明けを寿ぐ。
視覚(「そらももりもはたけもくももぴっかぴか」)、
聴覚(ラッパと鐘、風の音)、
触覚(飛び散る雨のしぶきに濡れる感じと風)、
嗅覚(「あめをたっぷりすいこんでいいにおい」)も総動員して寿いでいます。
この絵本を読む人は知らず知らずに五感すべてが刺激されて、
そのお話の中に自らが溶け込んでいく感覚を味わうでしょう。
そういうとっても不思議な力を持った絵本です。
かつ「静」と「動」の落差、「寂」と「鳴」の落差がこんなに大きい作品も珍しいですね。20-21部分

絵を見て面白いと思ったのは、塔の旗に描かれている天使です。
普通、天使は白い服着て頭に輪っかがあるけれど、
この天使、容姿といい服といい帽子といいまるで主人公の男の子と同じです!
ついでに羽はがちょうとそっくり。
つまり、がちょうにのって空を飛ぶ男の子は、実は旗に描かれた天使自身なのか、
あるいはむしろ、少年は旗の天使の分身なのかもしれません。
12-13二人はそれぞれの仕方で「祝砲」のような鳴動的シーンを演じます。
少年は「どん」と花火のごとく
大空へ急上昇。
旗の天使は思いっきりラッパを
「ぱぱぱ~ん!」。
ほんとにほんとに音が聞こえてきそう。
少年は大海原のうねりのような麦畑の上を飛び回ります。
麦たちが風に煽られ踊っています。
天使が持っている麦の穂もま た風に揺られて踊っています。
麦は、自然の恵みに生かされているものの象徴。
雨と風と太陽に生かされて育つ命が、自然の営みを喜び、寿いでいます。
自然の恵みをいっぱい受けて「麦はぐんぐんおおきくなるよ」。
そして、もちろんぼくの命もぐんぐん育つ。
「ぼくもだよ」という最後の言葉。
なんと健気で素直でそして感謝にあふれた宣言なんでしょう!

龍谷大学教授・国際学部長  久松英二14-15