2012
12
Feb

日々記

あたらしい本ができました

2012年2月12日(日)

 

とうとうとうとうできあがってまいりました、こどものせかい3月号。

「ぽってん あおむし まよなかに」(くわしいごあんないはこちらです

いつもそうですが、できあがりって うれしい限り。

至光社のみなさま、印刷製本のみなさま、そのほかかかわってくださったすべてのみなさま、

ほんとうにありがとうございました。

これから手にとってごらんくださるたくさんのみなさま、どうかおこころに なにかが とどきますように。

よろしくおねがいいたします。

 

これは、ちょうちょうのおくさんがくれたモチーフからできた本です。

夏がちかづくと、たいせつにしているレモンの木に クロアゲハがやってきて、卵を産みつけます。

だいじなレモンの葉っぱをたべつくすちょうの赤ん坊たちは、

はっきり言って、あんまり懇意に感じたことはなく、

ちょっとあっち行って!よそのお庭でごちそうになって!

と申し上げたく思っていたのですが、

ひょんなことからある夏、

あおむしをかってみることになりました。

わたしが、親・あおむし派に墜ちるのはあっという間でした。

いもいもしくぷんぷんに肥えた あざやかなみどりいろの生き物は、

じいっと眺めていると、かわいらしいことこのうえなく、たちまちのうちに情がうつり、

ねえ、あおちゃん、などと猫なで声、

何度も飛来するクロアゲハも、もはやママ友、

もしかして、そのひときわうつくしいおおきなおかたは、おとうさんですか?

などと妄想するうち、

ふと、おもうことあり、あおむしに ぶつぶつと たずねました。

「ねえ、わかってる?いつか あんたも あんなふうに飛べるってこと。」

そしてときおり、飛来するご父母のかたにも問いました。

「ねえ、覚えてる? あなたがたも あおむしだったってこと。」

それはふしぎな、あまりにもふしぎな情景です。

かれらが、親子であるなんて。

 

かれらが、親子であるなんて。

こんなふとした想いを、むかし ひとにも もったことがありました。

わたしからうまれでたちいさいにんげんが、

まとわりついてあそんでいるあのおとこのひと。長年したしくしている おとこのひと。

おとこのひとは、きいたこともないようなかわゆらしい声をだしたり、妙にふにゃふにゃになったり、

けたけたと笑い転げるこどもらをもっと笑わせてやろうと、工夫のかぎりをつくしたり演じたり。

泣きやまないのをしんぼうづよく抱いていたり。

ときには大きな声でおこっていたり。

父親とこどもらのそんな時間をながめてにやにやするのは、母親にはたいそうしあわせなことでした。

そうやって、わたしたちは、父やら母やらへとなりながら、

じぶんたちがこどもだったときをさまざまに思い起こし、

もういっかいこどもを生きることができたようにも思うのです。

じぶんがこどもだったときよりも、さいわいを感じながら。

はやく大きくなるといいよ、でもあんまり早く大きくならなくていいよ。

わけのわからないことを本気で言って、子どもらに、あきれられながら。

 

あおむしたちはやがてさなぎになり、その日が来ると、ちがう生き物のようにすがたをかえてあらわれ、

おそわりもしないのにりっぱに黒いはねをひろげて、

ふぁしふぁしとまいながら、

真っ青なそらにきえてゆきます。

家の中で羽化させたちょうたちは、そっと指先にとまらせて空にはなつことにしています。

助走のように、うまれてはじめてはばたくとき、かれらはわたしのほほに風を送ってきます。

じゃあ。

しあわせだったひとときの、卒業のとき。その合図のような、ささやかな、でも確かな新しい風。

なんどやっても、胸があつくなります。

そうやって、じぶんのこどもたちのすだちを見送る 稽古をしているのです。

 

かれらが、いいえ、わたしたちが、親子であるなんて。

わたしたちのこどもたちが わたしたちのところにうまれてきてくれたという そのこと。

親子であるということの 奇跡としかいいようのない出会いに、

感謝するだけです。

ありがとう!

 

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