このまちのロージーちゃんたち

2011年10月14日(金)

 

「かいじゅうたちのいるところ」の作者、モーリス・センダックの本のなかで、

だいすきな一冊が、これ、「ロージーちゃんの ひみつ」です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

訳者・中村妙子さんのあとがきによれば、

ロージーちゃんやそのおともだちは、

センダックのふるさとでもある ニューヨークの下町ブルックリンのこどもたちがモデルです。

ロージーちゃんたちがくりだす妄想あそびが、たいへんなリアリティをもって迫ります。

かれらは、おとなのセンダックの観察からものがたりになったこどもたちです。

センダックさんもそうやって観察しながらきっと、

自分がこどもだったときを重ね合わせてなぞり、もういっかいこどもをやることができたでしょう。

若い母親が そうやって日々をたのしめるように。

 

さて。

ロージーちゃんはどこにいる。

ここにもいる!

ロージーやキャシーやドリー、パッジー、サールにレニー!

こどもたちがおおぜいでわいわいがやがや、あるいは、ぎゃあぎゃあと、ないたりわらったりおこったりしている声は、

わたしのすまいにもよくきこえてまいります。

とくに夏をはさんで、窓をあけはなつ季節は、お外がにぎにぎしいことこのうえなし。

ここがじぶんちでよかったよ。あははは。

と つくづくもらい笑いしております。

若い母親であるみなさまは、住み始めのころこそ、そのやかましさが迷惑ではないか、

あるいはこのご時世、通報などされたりするのではないかとどきどきしてしまう、などと、

お詫びを前払いなさったり、不安を口になさったりでしたが、

元・若い母親のわたくしはかなりきっぱり申し上げました。

「おねがいなので、じゃんじゃんやってください。」

じぶんがこどもだったとき。それよりもっと!ちいさいこどもの母親だったとき。

いとおしく思い出します。

 

あかるい笑い声や、ぱたぱたした足音や、なぞのうたごえに混じってきこえてくる嘆きの絶叫にはとくになつかしい。

「あ~~ん!!!!○○がこわしたあ~~~!こわさないでっ!て いったのに こわしたあ~!ぎゃああ~~!」

「おかあさあん!あけてよう~!!もうしないよう~~!!あけてくれないと おおごえで ばかっ!て いうよお~!!」

「いやだいやだいやだあ!レストランごっこなんかしたくない~~~!でんしゃごっこがいい~~!うおお~!!!!」

「パパとおふろなんかいやだあ!ママとはいりたい~!だってママのほうがかわいいんだもお~ん!」

・・・・ほんの一例です。

 

そこへ、中学生のおじょうさんのおたくから、ピアノの音もきこえてまいります。

のんびりした『ショパン・華麗なる大円舞曲』。彼女のほがらかでゆったりした音色にうっとり。

どおです、いいでしょう・・・・・っつって、あたしはきかせてあげたいよ、ショパンに(敬称略)。

あ。

あきてしまってこんどは『スコット・ジョプリン』になりました。

 

おや。

あれは2月にうまれた坊やの泣き声でしょうか。たいへん野太くひびきわたるようになりました。

すこやかな成長を心よりお喜び申し上げます。

そういえば先日おるすばんをたのまれて抱っこしたら、彼にかかる重力が急速に増していました。

そこのうちのおねえちゃん、昼寝からさめたのでしょうか、ねむい~っ!と泣き叫びます。

さらに、いつもしゅっとしている小学生のぼくが、なぜか、きょうは、外でバイオリンの稽古を始めます。

うまいなあ。知らなかった~!いつどこで稽古しとったんだ。

仕事場でかけっぱなしの『押尾コータロー』が、このまちのロージーちゃんたちのたてるさまざまな音にかき消されます。

押尾完敗(敬称略)。

 

それが、

このところ、やけにしずかだな。

とおもったら、きゅうにすずしくなって、窓をぴしゃりとしめたせいでした。

 

そろそろ、豆を煮ようかな。

 

いちまい上着をはおってそう考えていると、

『ロージーちゃん』のおかあさんがメールをくれました。

 

 

                  「このはし わたれば」 だから こわさないでね。といいのこして、

                   『ロージー』は幼稚園にいきました。

                  きょうからおとうとの手をひいて。

 

うれしいな。

ロージーママ、ありがとう!

『このはし わたれば』 は つみきの橋からはじまる、「妄想の極致」がモチーフです。

このまちのロージーちゃんたちの妄想に 想いをはせます。

豆だけじゃなくて、ブリ大根もたいて、しずかな夜を、そうやって

あははは。 と すごします。