7月の半ば。
谷内こうたさんが亡くなられた、と、
至光社の編集さんから連絡をもらったとき、
ちょうど自宅最寄り駅で電車を降りようとしていたところでした。
空はどんよりしていました。
耳が遠くなったような気がしました。
あたまのなかで、ガラガラと音がしました。
今年5月のこうた先生の油彩画の個展で一年ぶりにお目にかかっていました。
お会いするようになったのはずいぶん前のような気がしますが、
緊張のあまり、まともにおはなしできるようになったのは
ようやくこの3~4年ほどのことでした。
それでも、いまでも、
あ、やまざきさん、と呼ばれるだけで
いちいち動悸がしていました。
こうた先生は、わたしの神様です。
はたちのころ、
書店で「のらいぬ」を手に取って、からだじゅうに電気がはしりました。
ひとは 紙に感電するのです。
えほん、とは、なんてゆたかな空間なのだろう。
子供時代の延長でひきずっていた、絵本へのあまっちょろい考えがふっとびました。
そして、絵本の作家になりたい、と、激烈に思ってしまいました。
そこからながい年月がかかりましたが
わたしはいま
絵本づくりをしごとにしています。
今年。5月。銀座。
あいかわらずどきどきしながらおずおずと画廊を訪れると、
ああ、やまざきさん、どうも。こんにちは。
とこうた先生はやわらかく迎えてくださり
わたしは、深々とおじぎをしたり、息をととのえたりしました。
そして
こうた先生のあたらしい絵たちに、首をつっこみそうにしているうち、
去年の個展でのやりとりを思い出しました。
ーこうた先生、これからもずっとフランスにいらっしゃるんですか。
「う~ん。だれも帰ってこいって言わないんだよね。それでなんとなくね。あはは。」
今年の個展の絵たちから溢れ出てくる光をあびながら、
こうた先生を日本へ帰らせないのは、この光たちなのかもしれないな。
なんてことを思っていました。
ぼんやりとそんな「ひなたぼっこ」をしていると
こうた先生が、
どうですか。やっていますか。とわたしの近況をたずねてくださいました。
はい、こんなやらあんなやらと
ほそぼそしたさまざまをぼそぼそとおこたえすると
ぼくもね、また絵本を描こうとおもってる、と、こうた先生はおっしゃいました。
「絵本の業界はあいかわらず厳しいからね。
おたがい、がんばりましょう。」
お、おたがい。
身に余るちいさいひとことに、目の前で電気みたいななにかがぱちぱちして
頭の中がホワイトアウト、めまいがしました。
「またお会いしましょう。お元気で。」
と、こうた先生に見送られて、わたしはなんどか深々とおじぎをし
有楽町駅まで地上5ミリほど浮きながら歩きました。
・・・またお会いしましょう・・・
信じて疑いませんでした。
こうた先生は、日本へお帰りにならず、
このたび べつのところへひっこされてしまいました。
と、今朝やっとそう思うことにしました。
そこには こうた先生の絵になりたい光たちがあふれているにちがいありません。
「自分の絵に満足なんかしないよねえ、だから描き続けるんだから。あはは。」
と、こともなげに笑っていたこうた先生のことです。
さっそく筆をとってらっしゃるんじゃないか、とか、
先に亡くなった、わたしを長い年月しんぼうづよく育ててくださった至光社の先代代表武市師匠や編集者さん方ともうあたらしい本づくりなんか始められているんじゃないか、とかと考えるのはたやすく、
そうすると、ちょっと うずうずするような、
いてもたってもいられないような、
すこしわらいたくなるような気持ちになり、
わたしもやっぱりがんばらないとな、と思います。
編集さんもそう言って、かなしみを気合いにかえています。
地上で、谷内こうた新作にあうことはかなわなくなりました。
けれど
そっちのほうからさしてくる光をめざしてやってゆくということにおいては
いままでとかわりはないのだ。満足なんかない道なのだ。
描かなくちゃ。
おたがい、がんばらなくちゃ。
こうた先生、ありがとうございました。
またお会いいたします。