2016年4月21日(木)
至光社「こどものせかい」を描きあげました。
で、とんでもないことにいまになって気づいたのですが
前回の日々記のタイトルが「7月号を描き始めます」というものでしたが
描きあがったのは 8月号。
(´・_・`)
いただいたおしごとは8月号でした。
お詫びして訂正、1月に描き始めたのは8月号、出来上がったのも8月号。
印刷へゴー。
試し刷りをみて、いつものことながら原画をわすれちゃうできばえでして
製版さん(大阪)のありがたさに、西に向かって手を合わせたり、ぶつぶつ御礼をつぶやいたり
「製版たいへんだった、らしい」と編集さんにきかされて空にむかってあやまったりしています。
ごめんなさい。そしてありがとうございましたm(__)m
それはそうと
しごと終えたので
東北へ行きました。
仙台から東北仙石ラインで松島ながめつつ終点石巻まで。
左手に山々、右手に日本製紙の煙突がみえてくると
なんだかなつかしささえおぼえるようになりました。
しかし。
石巻をとおりこし、石巻線にのりかえて 今日はまず女川へ。
昨秋につづき、2度目です。
なにもかもがえぐりとられた町にできた、
飛び立とうとするオブジェのような女川駅と、
そこから海にむかって一直線に伸びるあたらしい商店街。
それらを囲む山々は重機がフル稼働で造成中です。
この日はたいへん風が強くて、
ばたばたと翻る「スタート女川」ののぼりが、
大漁旗のはためきのようにも聞こえます。
おさかながたっぷりのった「女川丼」をめざしたのですが
そんなお店は無念にも定休日(T T)
それでは、と気を取り直していただいたわかめうどんの
わかめが。
わかめが・・・・もう。
わかめを・・・おかわりしたかった。
メニューをガン見したところ、
うどん大盛には対応があるものの
わかめは非対応のようす、
あきらめて生わかめをば、物産館でたっぷり買い込みました。
(帰りには石巻でとろろこんぶなどとも合わせてまたたっぷりどっさり購入。
もちきれないおもさになって宅配便にしました・・海産物問屋なのか。自分・・・・)
女川をあとに、石巻線に乗って約30分。
石巻へ戻りました。
夜はいつものようにかまぼこの粟野さんに会い、
翌朝、雨やみをまって
ひとりで日和山のほうへ。
復興大工事がはじまり
徒歩では立ち入りできなくなった地区へ
津波避難路を逆行するようにくだりながら
行けるところまで行きました。
いつものことですが、
山の上のおだやかな住宅街から、
大きな被災地区を見ると胸がつまります。
それでもこの街のみなさんが
一歩一歩すすんでいかれることを
あらゆる瞬間に知るとき、
またたちあがるということ
あたらしいひとびととまじりあい町ができるということ
生きている限り生きるということ
そんなさまざまに
訪れる自分のほうがはげましを受けてしまうのでした。
昨秋、粟野さんが
「優子さんきっと好きだと思う。」と
連れて行ってくれたちいさな浜のカフェがあります。
今回は粟野さんにおねがいして
また連れて行ってもらいました。
その、蛤浜(はまぐりはま)で起こったこと、
地元の、浜を愛してやまない青年のこと、
ボランティアにやってきてそのまま移り住んだわかいひとたちのこと、
わかい彼らが始めたこと、
これからしてゆこうとしていること・・・
いごこちがよすぎてなんの写真もとらず、
粟野さんとそして浜のわかいひととおしゃべりしてきた蛤浜のことを
ぜひ知っていただければと思います。
蛤浜のはまぐり堂
これから石巻へいくたびに、粟野さんと蛤浜に行きます。
「いっしょに蛤浜応援したいね!」と
粟野さんもおっさるのでしたヽ(^。^)ノ
応援、ちゅうか、
なかまにいれてもらいたい!
きがつけば石巻への旅は、ひとつ、階段をあがっていました。
震災がきっかけで、
うまくいえませんが
「なにができるということはないけれど訪れると自分の気がちょっとすむ」
という始まりの旅だったのが、
いまでは、行きたい街になりました。
粟野さんはむろんのこと、
行って、会いたい人が増えてきてしまいました。
うまいもんにつられてよかったよかった。
これからもどうぞよろしくおねがいしますと申し上げたいです!
石巻から帰った夜、
家族にそんなこんなのみやげばなしをしていたら、
熊本で大地震が始まってしまいました。
毎日の状況にことばもありません。
どうかいちにちもはやくおだやかな日常を取り戻せますよう、
お祈りいたします。