でんきやさん劇場1 母なる冷蔵庫

2013年7月8日(月)

 

6月某日。

でんきやさんにて購入した冷蔵庫がやってくる日だ。

15年前に他界した母の、生前最後の買い物だった大型冷蔵庫をお下がりで使っていたが、

古いものは消費電力がでかい、だけではない、

ドアのしまりもわるくなった。

無意識にしめてもしまっちゃいない。

「ドアがあいています。ドアがあいています。」

ちゃんとしめるまで慇懃にしかりつけてくる。

あやまるくせがついた。

もうひとつ、しめながら舌打ちするようにもなった。

まずい、と思った。

ひととしてどうか。

不寛容をさらしてどうする。

替え時、買い時。別れ時だ。

 

でんきやさんがやってくる、と予告された3時までには、

なかのものを一掃し、

冷蔵庫をきれいにしてあげよう。

もはや廃棄物の運命、考えようによっては、

母のもとへ送り返すともいえる。気がした。

なかなかに緊張する。

せめて、母が、廃品にたいして示していた感謝と敬意を、

そのまま同じくそそぎこんで別れようと思う。

そう こころにきめて ひるさがりに、

順次庫内収納物を、野営の知恵を総動員して保冷箱ほかにうつす。

箱に入りきらないもののうち、

でんきやさんがくるぎりぎりまで 冷蔵庫に入れておき、

でんきやさんがあらわれたとたんにとりだせば、

あたらしい冷蔵庫に収納するまでのしばし、

室温に放置してもさしつかえなさそうなものたちのために、

電源コードはつないだままにしておこうと思う。

ということのほかに、

自分の手でコードを抜くのは、どこか 忍びない。

しかしながら、

生きている状態の冷蔵庫を すみずみきれいにしてやるために、

あけはなしたドアのせいで、

ちょっとしめそこなっただけでも慇懃にしかりつけてくるあの声、

「ドアがあいています」は、

かぎりなく繰り返されるのだった。

ドアがあいています。

ドアがあいています。

ドアがあいています。

ドアがあいています。

わたしは、合の手をいれる。

ドアがあいています。

はい。ごめんなさい。

ドアがあいています。

いま、きれいにしてるの。

ドアがあいてます、ってば。

わかってますってば。

ドアがあいてます、っていってるじゃないの。

うるさいよ。

ドアが・・・って うるさいとはなによ、うるさいとは。

・・・・・・・・・。

ドアがあいています、あいています、あいていますうううう。

 

もやはあんたは機械ではない。

わたしは、うるさいよ、と なんども言い返し、

心の中、走馬灯をフルスピードでぐるぐるまわしながら、

あれやこれやの回想や妄想に、

ひとりでわらったりないたりしつつ、

れい ぞうこ、人間換算推定81歳を、

ぴっかぴかにした。

(つづく)