2012年9月10日(月)
どおおんと出ました、わたくしにとって日本一の、つまり世界一のかまぼこ。
宮城県石巻市は粟野蒲鉾店の笹かまぼこです。
おさかなの味がちゃんと、しかもふんわり。かまあげしらすの上等をいただくときのうっとりと似ています。
粟野さんのかまぼことの出会いは、いただきものとして でした。
至光社さまから季節にいただくさまざまなもののなかでとうとう出会ってしまった、粟野さんの笹かまぼこ。
なんたらずうずうしいことかと、ひとごとのようにむかしの自分を思いますが、
「いつもほんとうにありがとうございます。これがいいなあ。みんなでもう全部食べちゃった。」
と、いただいた日にお礼状を書いた、10年前。
以来、じゃあ、やまざきにはもう、考えないでこれだ!と、きめていただくようになったものの、
考えてみたら、いただくわけにはいかないくらいに、まだらにしか しごとをしていなかったのでした・・・・・・・・・
非力がゆえに できあがるのに3年とか かかっていた駆け出しのころ、
なんとかつぎの1冊を作ろうと必死になってるところへ、はげましてくださっているのだ、至光社さまが。と勝手に感動して、いつしか
「粟野さんのかまぼこは、ごっついおいしいけれど自分で買ってはいけない。至光社からいただくべくがんばるのさ!」
などと、気合いをいれるようになっておりました。
それだけではありません。
それは岩がふってくるかのごとくに突然起こったのですが、身内が日々これ病院のおせわにならねばならなかったあのころ、
もう絵を描くことは、絵本をかくことができる日は、二度とないかもしれない、それでもいいからこのものたちの病をなおしてください。
と、投げやりになりながらも人生に必死だったそのころも、至光社さんは、そっと、粟野さんを送ってきてくださったのでした。
二度。いや、三度。なんにも描いていないのに。ふたたび描き始める気配もないのに。からっぽなのに。
そして6年前の雨の季節に、粟野さんのかまぼこは、またとどきました。
至光社への恐縮まみれのお礼状に、こう添えました。
・・・・・雲のきれまから、ちいさな青空が見えてます。夏が、そこまできてますね・・・・・・
すると3日もしないうちに、電話があって、編集さんは、こういったのです。
「きっともうだいじょうぶ。かけますよ。」
至光社さんは、ずっと、待っていてくれたのでした。
だいじょうぶ。とは、空を眺められるようになったじゃないの!ということだったのかもしれません。
ほんとうでした。
その次の年、「るすばんいす」ができました。
待っていてくれる人がいるということ。その感謝もたくさんこめて、待つこと、そのことを、描きました。
ああ、よかった。かあさんがまた描き始めて。これでうまい笹かまぼこがまた食べられる。
彼ら一流の照れかくしでそう笑った家のものたち。病を乗り越えた本人たちも、気をもみながら 待っていてくれたのでした。
なにもご存じない粟野さんは、いつもそんなふうに、わたしをはげましつづけてきてくれたのでした。
去年。3月11日。
石巻の粟野さんもたいへんな被災をされたのです。
はっとして、3月のおわりころから、なんども検索してさがしました。
まだ見ぬ恩人、粟野さん。
あしながおじさんのようなその方の、消息をどうさがしたらよいのか。検索する手が震えました。
どうにもこうにも わかりません。祈るよりほかありません。
毎日のように「粟野蒲鉾店」とさがし、ある日。
復興中、とホームページが現われました。
震える手で、夢中で「問い合わせフォーム」からおたよりをかきました。
心からお見舞い申し上げること。ずっとはげましていただいてきたこと。お店の再開を待っていること。これからは買う!ということ。
それから、たいへんな復興作業のあいまのひといきのおともに と、ささやかなおみまいをお送りし、
ご丁寧に頂戴したお電話で、はじめて粟野さんとおはなししました。
今度は声が震えました。
おはなししたのは「おかあさん」粟野さん、ご家族も、お店の方々もみんな無事だったと、初めて話すわたしにおしえてくれました。
その後たびたびのぞく粟野蒲鉾店ホームページは、再開準備中です、のままで、
震災の大きさのはかりしれなさばかりがふくらんでいきました。
もっとなにかお手伝いしたいのに、恩返しをしたいのにと思いながらも、ほとんど片思いのようなこれまでの日々、
そしてお電話でおはなしした粟野さんのおはなしぶりから想像する、あたたかでおきづかいにあふれるお人柄に、
悶々と待つ日がつづいた9月。
ちょうど1年前。
とつぜん。なんの前触れもなく。
配達してくれたクール宅急便のおにいさん、興奮してよろこんでごめんなさい。
ぼん!とあがった復興の のろしです。
再開のごあいさつ状というのがそえられていました。
みんなでわあわあいいながらいただきました。
4月に石巻へお手伝いに行っていた息子は、もうわあわあわあわあ、すごいすごいを連発しておりました。
やった!やったやった!!!
冬にはまた、至光社からも粟野さんがとどき、
わたしはもうなんの躊躇もなく、粟野さんのかまぼこを注文させていただいております。
うちであっというまに若い者が食べつくす前に、したしいご近所なんかに胸張っておすそわけ。
「ま、食べてごらんなさいよ、ごっついおいしいから。あ。ビールにあうからってのみすぎないようにしよね~。」
と、えらそうにいいながらも
夏前に復活した揚げかまぼこが、「とっても泡盛にあうんですよ!南北融合!」などとへらへらして
やさしい粟野さんにご心配かけております、飲みすぎ注意と。
おだやかで、とても前向きな粟野さん。
たくさんのボランティアの方々の泥まみれ汗まみれの姿に励まされて、もういちど立ち上がろうと思えたのだ、と
そのうちのささやかなひとつぶでもあった息子にもいつも感謝してくださる、すてきな粟野さん。
ばつぐんにおいしい粟野さんの かまぼこ。
ここまで、どれだけのご恩があることでしょう。
そしていま。直接のご縁をいただいて、いつも ほんとうにありがとうございます。
とおからず、きっと石巻にまいります。
つつがない日々とご健康をこころよりお祈りもうしあげます。
おいしい!ということが どんなにひとを励ますか、
わたしは粟野さんにおしえていただいたのです。
わたしもいっしょうけんめい しごとします。
粟野さんのお店粟野蒲鉾店http://sasakama.co.jp/