2012年8月24日(金)
闇のなかに ちいさなあかりをみつけ、そこに目をこらす。
そのことが もたらしてくれる、なにか。
絵本として考えるうえで、「なにか」が具体的に思い浮かばないまま、
ちょうど『ぽってん あおむし まよなかに』の作業をしていました。
蝶々と あおむしが 親子だなんてなあ。ぼんやりした感嘆から、むっくりと立ち上がってきた、親子の縁のふしぎを描くということ。
闇のなかのともしびについて、そういう核みたいなものにたどりつけないまま、別のことも考えていました。
夏の終わった浜のながめのモチーフです。
そうして2011年3月11日、金曜日、
描き上げたあおむしの原画ひとそろいを至光社にもっていき、ちょいちょい直しはあるものの、オッケイをもらい、
さらに、「来年にむけて、何かかける?」という、いままでにないおはなし、
なにしろ、いままでは、「こういうのができそうだから みていただけます?」という年月だったから、
わたしにとっても大きなステップの踊り場ともいえるおはなし、
そこへ「海の家をやらせてください。」とおねがいし、ほんとうにほんとうにうかれた気持ちでの帰り道、
「ひとつステップあがれた気がする、ありがとう」と ずっとささえてくれている夫にメールしながら、
ひとり電車を待っていた恵比寿駅、湘南新宿ラインの入線を告げる放送とかさなるようにして、
おおきな災害が起こったのでした。(その日の自分のことはここにかきました)
「あらがいようのないことが突然おこって くらやみにほうりこまれたようになってしまう」ことが、
おびただしい数のひとの身の上に、いちどきに起こったのでした。
くらしている街でも計画停電というのがありました。二度ほど、夜間にありました。
街を、ほんとうのくらやみがおおいましたが、そこは「計画」、ちいさな灯りを用意してそなえました。
ちょうど家にいあわせたのは、何年か前に、思いがけない病気を克服したわかものでした。
「暗いな」
大学卒業を控えた彼は、ねむそうにいいました。ろうそくに浮かび上がる彼の顔は、困難とは無縁。といったぼんやりした風情です。
「外、明るくね?」
おや、ほんとうだ。なんだろね。
なんにもすることもできることもないので、ふたりでなかよく窓のそとをのぞいてみると、
あたりはほのあかるく、大きな影もさしています。
月じゃない?
どかどかと、そろって外にでました。
天高く、満月がありました。
明るい夜でした。
見てるといいね、みんなね。東北のひともみんなね。空をね。この月をね。見てなくても照らされてるけどね。
どやどやとわやわやと とりとめなくおなじようなことをくりかえしおたがい言いました。
照らされる。そう口にしたとき、胸がつまりました。
ほら、この子、こんなに元気にしている、かみさまありがとう、どうか東北のみなさまも、あしたを信じることができますように。
その翌月、彼は、進学した「大学院が始まらないので、ノリで。」と、照れたいいわけをしながら
石巻へお手伝いに出かけてゆきました。
高台からまず一望するように指示されたのは、一面の闇のながめだった、と、2週間ほどして帰ってから話しました。
石巻のお手伝い先のおくさんが「くれた」というインスタントラーメンを、少しずつ消費しながら、彼は淡々と学業に戻って行きました。
だめだ、少々のことで弱音を吐いては。こんなことに まいっていては。
自分の闘病中もいわなかったことをいうようになっていました。
夏ごろからわたしは、約束した海の家の絵本にとりかかり、いま海をかく、ということに、ものすごく苦しんだような気がしています。
それはいずれまた整理しておはなしできる日がくることでしょうけれど、とにかく、もがきながらもしあげて翌3月、
至光社に持参し、ほぼ完成だけれど・・・・・・・・というところでお互いがだまったのは、おなじ想いがあったからで、
とっさに、ちがうのをかかせてほしい、いまなら、ともしびを描きたい、描けます。と宣言してしまったのでした。
印刷に出すまで2カ月しかありませんでした。
ちいさなともしびをたどってゆくことがもたらしてくれる「なにか」。
みつけあぐねていたと思い込んでいた、わたしの「ほんとうのともしび」が
いまは はっきりわかっていました。
だいじょうぶ。描ける。編集さんも、そういって笑いました。
ここまでのながい日々記でかいた、すべてをこめて描きました。
久松先生や青木さんがこの「ともしび」にかいまみてくださったキリスト教の気配は、
きっと、キリスト教だけのものではないのではないでしょうか。
ちいさなともしびに祈りや願いがうまれるとき、そこはむかしからきっと いちめんの暗闇だったのではないかと思います。
ともしびは、ともすひとを照らします。
ともすひとの道を照らします。
ともしびは、ともしびをよびます。
くらやみの中だからこそみつけることができるちいさなともしびは、
きっと幸いへのみちしるべ。
生きているうちは、そのことを信じ続けようと思います。
(あとがきより)