2012年8月22日(水)
あちらこちらになんども書いているような・・・。
そして「ともしび」のあとがき(これです)にもあるのですが、
ほんとうのくらやみに出会ったのは、こどもらもいっしょに キャンプにでかけた 北の森でした。
はなしはそれますが、
その森でキャンプをしたかったのは、キャンプが したかったからではなくて、
この森で、この丘で、満天の星をながめたい、と願ったからで、
そのためには、キャンプするしかないなあ。という宿泊先事情だったからです。
以後、夏はキャンパーになったものの、そのへんでしかしなかったなあ。北海道大雪山周辺。あと支笏湖。
だいすきな十勝岳界隈のキャンプ場には、持参したランタンを消灯しても 照明が最低限 ついております。
それでも、5人で ねころがって眺める星空は尋常でなく、圧倒的で、一同、どういったらいいか わからなくなった、
もしかしたら言語中枢がシャットダウンしている。みたいな感じで だまっていたのですが、
しらずしらずに なかよく手をつなぎあっていたのは、
遠いのか 近いのかも わからない星たちのながめに、すいこまれそうでこわかったからでした。
ところが。
もっとすごいところがあって、然別湖の北岸は、8時になると、ぱしゃっ!と水場炊事場ぜんぶ消灯。
かわりまして 現われ出でるのは、湖にうつる星の列でした。
それに気づいて それをながめようと 斜面の木立の間を用心深くおりて、湖畔に並んですわり 手元のあかりを消したところが。
闇というのは、かたまりです。
のしかかってきます、ほんとうです。
てさぐりで すぐとなりにいるはずの家人をさがしますが、手にふれたこのひとは ほんとうにうちのひとでしょうか。
こっちのこれは わたしのかわいいこどもらでしょうか。
湖面には、さそり座がゆれ、あかい目玉はちらちら明滅、もう自分が いるのか いないのか、わからない。
なのに怖いというより妙におちつき、
このしずけさったら、闇のかたまりは 音も吸い取るのだろうか、と思ったりするところへ、
ふぁしふぁしふぁし・・・と羽音(のような音)をたてて、なにかが湖面の上をわたってゆく気配だけはわかり。
「ねむい。」とおさない声がします。
「もうねてる気がする。」すこし大きい子の声がします。
「ママ?ねえ、これママ?」娘の声です。ちいさな手が、たぶん手が、腕にふれます。
そうだよ、ママだよ。身じろぎした直後、冷たい液体が着ているものを浸みてきました。
あかりあかり!
亭主に催促してあわてて手探りでともしたあかり。
みんなの顔をみて、大きく息をつきました。
浸みてきたのは赤い葡萄酒でした。
マグカップで飲みながら、星空と闇を堪能するつもりが、
ぜんぶ、こぼしてありました。
ちいさくともした黄色いあかり。
こんどはだまってそれを眺めました。
こどもらの黙りこくった顔が ちいさなあかりに照らされて、
たしかにみんな、ここにいるのでした。
手のひらくらいのちいさなあかりに
どれだけ安堵したことか。
むかし。
梶井基次郎がひとつひとつ心にとめたきいろいあかりのことを
あとになって重ねておもいました。
また またです!