北海道ポストカード顛末記

わたしは、こどもらがおさなかったころからかれこれ四半世紀、

北海道に通いつめており、いまでは正直言って半分くらしているような感じになっているのですが、

そんななか、旭川~東川あたりの里山再生をめざす活動を始めた若者たちと出会いました。

『ひとつの木プロジェクト』と名付けられたその活動は

一つの木から、炭焼き、木工、原木椎茸のホダ木のそれぞれの材料をを得ようということを大きなイメージにしています。

彼らの活動のアピール手段のひとつとしてポストカードの制作を依頼してくれました。

炭を焼くのは米飯(ペーパン)製炭所・大橋孝司さん。

(https://www.peipancharcoal.com)

旭川市郊外の米飯地区の山の土で窯をつくり炭を焼いています。

雪の季節にだけ火を入れるその土窯のたたずまいは

ゆっくり脈を打つ心臓のようでさえありました。

・・・炭焼きは、木から煙を取り除く化学、

化学変化の具合は煙のいろやにおいに訊く、

炭ができてきた合図の煙は「あさぎ色」・・・

山でそのひとのことばに耳をかたむけながら、

「あおいしずかな 大気の底で」というイメージが

わたしをとらえて離しませんでした。

山で、山と生きることをめざして

そのために炭を焼いているという大橋さんは

しっかり地べたをふみしめているたしかさがあふれているものの、

気負いがなく、どこか軽やかでさえあり、

それはほかのふたりにもいえることですけれど

なんだかとてもすてきなのでした。

木工家はアイスプロジェクト・小助川泰介さん。

(https://www.aisuproject-mori.com)

旭川でうつくしい家具を作っている小助川さんの工房には

テーブルになる北海道のナラ材が

きれいにカットされて積んでありました。

・・・樹木にうまれてほぼ100年、家具になってまた100年・・・

木のいのちについてのんびりと語る彼は

工房のストーブの燃料に、と あちこちから寄せられる廃材の

木目のうつくしさに愛を募らせて

ぴかぴかにみがいてしまったり

あたらしい工芸品につくりかえてしまったり

なによりも、

家具材としてつかわれてこなかった白樺を

うつくしい樹皮ごとクラフトに生まれ変わらせてしまうあたり、

ほんとうはそのひとこそが樹なのではないか、

すくなくとも白樺とは恋仲なんじゃないかと思えてなりませんでした。

そんな愛に伝染すると、

ナラのテーブルも

森へいちどくらいは里帰りさせてあげたくなります。

そんな気持ちでかいた一枚です。

原木椎茸の栽培家は阿部雄太さん。

(https://m.facebook.com/東川原木椎茸-105152497538226/)

このポストカード原画たちを依頼してくれたのは阿部さんです。

彼がいまホダ場と呼んでいる原木椎茸の栽培地に

初めてわたしを連れて行ってくれたのは、

北海道の今年に限ってはやい雪どけのころ、

そこは冬の裸木の明るい林でした。

・・・ほら、すぐそこに水が流れているでしょう?

   林が茂れば 木漏れ日もちょうどいいんです。

   ここは自然のきのこも生えるんです・・・・

ねむっているホダ木の山のうえにはふんわりとまだ雪、

そのうえに、カラマツが一枝、バラの花のようなまつぼっくりをつけたまま

しずかに ありました。

ここは、カラマツの林でもありました。

秋。

雨があがり、カラマツの葉が降り、陽の光がまっすぐにさしこむとき、

きっとそこは祝福に満ちた林になるにちがいありません。

・・・里山、ひとも集えたらすてきじゃないですか!・・・

そんなふうに語るそのひとの視線の先にしょっちゅう虹がかかっていることも

わたしは知っていて、

光溢れる一枚の絵になりました。

その阿部さんが是非。と連れて言ってくれた旭川斉藤牧場のポストカードも描きました。

(http://www.saitou-bokujo.org/index.html)

近年注目の山地酪農のパイオニア、旭川斉藤牧場は

「牛が拓いた牧場」として知られています。

わたしをふくめ、おそらくおおくのひとがおもう北海道の牧場は広大な平地ですが、

斉藤牧場はあまりにも違います。

牛を山に放ち、そこにある山の自然に牛といっしょに溶け込み

すこしずつすこしずつ牧場にしていったうつくしい山です。

ここで斉藤さん一家は牛を飼っていません。

牛と くらしています。

と わたしは 思います。

訪れた日、牧場は雨でした。

3代目の斉藤未来さんにつれられて山にはいると、

「あんた、だれ?」と ばかりに

手を伸ばせばまちがいなく届くところに、角がはえたままの雌牛さんたちが寄ってきました。

ふんふんと鼻息がきこえました。

斉藤さんちの牛さんたちにはストレスがなく、

たいへん穏やかな方々なので

角を切る必要がないとききました。

斉藤牧場では搾乳のために、山じゅうで気ままにしている牛さんたちを

牛舎へあつめなければなりません。

夕方、その風景がほんとうにすてきだ、と

同行の阿部さんが教えてくれました。

・・・牛を追うって感じじゃないんですよね。

   牛と歩いてます、斉藤さんは。

   こんど そんな時間に来ましょうよ。

絵は、その想像図になりました。

ゆるくない斜面をのぼったりおりたりして

穀物飼料をたべることなく 草をゆっくりきままにたべてくらす牛さんが分けてくれる牛乳は、

こころなしか青みがかり、

すっきりしたのどごしなのにあまいかおりが鼻の奥に広がる、

いくらでも飲んでしまいそうな牛乳でした。

豊かさってなんだろう。

北海道にいると もともとゆさぶられてばかりですが

斉藤牧場の風景や成り立ちは また格別です。