2019
27
Feb

日々記

手提げかごの思い出

やっぱり治ってなかった花粉症。ばっちり発症しました。

目が痒いですが黄色い粉のせいですか。

それとも古いものの整理整頓のせいですか。

古いものたちを片付けようとする時、それが湛えている記憶についてつい考えます。

もうつかいみちのないその手提げかごは、わたしが幼かった頃に近所のよろずやさんにちょっとお買い物にいくときに使用していたもので、

見るたびに、近道しようと歩いた空き地の草のにおいや日の光なんかを思い出すものだから、

捨てられずにいました。

このごろ、ときおりやってくる孫とすごしていると ふうわり浮かび上がってくるのは、

自分のこどもらがこんなふうにちいさかったあの日々です。

かわいらしかった彼らそれぞれの記憶のほかに もうひとつ、

こどもとくらす日々が、自分がおさなかったときを、さまざまな認識をもって たどりなおせるときでもあったことを思い出します。

手提げカゴをもってあるいた草地の空気を、わたしはそのころ記憶し直していたのかもしれません。

そしていま、やわらかな早春の日差しを浴びて草の上や浜をとっとこあるく孫をながめていると

手提げカゴが呼び覚ましてきた、あの草の匂いも日の光も、いま、また、ここにあるのがわかります。

まるで思い出の日差しのなかのあたらしい幼子は、わたしのこどもらにも満ちていた香りをまきちらしながら、おさなかったわたしといっしょに、ときのめぐりのなかにいます。

もうわたしに、手提げカゴはいらないのかもしれません。

(なので くまたちにあげようと思う。)

くまはカゴを下げて孫の散歩についてゆきました。

うちに帰ると みんながカゴに入りたがって ぎゅうぎゅうになってしまいました。