2013
23
Aug

日々記

また きっと さこう のこと 3

2013年8月23日(金)

 

ほんができるたびに、
感想をくださるかたがあって、
こんどもさっそくにいただきました。
ありがとうございます!
じつを言うと、
読み始める前からどきどきするのです・・・
いつも、
じぶんがまったく「わかってない」ことが書いてあって。
青木由弥子さんの手紙(抜粋) 

作者が三番目の海鳥となって、全てを見守っている。
遅れて、たった一人で咲いた赤い花のために、
ひと夏のにぎわいをもう一度呼び戻し、
仲間の花たちと一緒に咲く、
という喜びがあることを教え、
そして、また還っておいで、と送り還す。
またおいで、と祈りながら・・・。
そんな視点が、とっても新鮮でした。 

赤いビーチパラソルが、ハイビスカスの花になっていることに、
ちょっと感動しました。
花の精の女の子が、一番夢見ていたのは、きっと、
仲間たちといっしょに咲くこと、だったでしょうから…。
大きな波に持って行かれるビーチボール。
遊びの世界を象徴するボール。
自由とか、夏らしさとか、華やいだ感じを連想させる、マリンカラー、
あるいはフランス国旗と同じ三色のボールが、「大きな波」に持ち去られる。
その瞬間、魔法が解けてしまうのですね。
淋しい、少し夕方になって陽の傾き始めた、誰もいない海岸。
不安定な斜めの構図と、
羽の先や足の先しか姿を見せない「海鳥」が醸し出す、
不在、の気配。
現実の世界へ、帰還した瞬間。
夜になって(あるいは、いのちの時を終えて)
しぼんで眠りにつく赤い花。
決意をこめた海鳥の鋭い眼。
ボールは、しっかり鳥の間に守られています。
黒い不穏なハイビスカスの陰の中で、
これから咲くつぼみが指し示すのに導かれてページをめくると・・・・・。
 
鳥は、昔から魂を運ぶもの、として、神聖視されていたそうです。
お盆に戻ってくる魂たちは、
海の向こうの「常世」「ニライカナイ」からやってきたり、
山の向こうから降りてきたりする、と信じられてきたけれども・・・
海の青、空の青にも染まらず、溶け込まず、
漂い続ける「白い鳥」のイメージは、
消え去ることなくやってきては
また還っていく魂たちのイメージとも重なるのかもしれません。
「ばらりと はばたくと ぎらり なつが ひろがった」
というような、言葉のリズムも素敵だなあ、と思いました。
かえる、という言葉が繰り返し出てきます。
そのリフレインの響きの中に、
「またおいで、またかえっておいで」
そんな、日本人が毎年繰り返してきた「お盆」の祈りが込められているような気がしました。/strong>

(以上いただいたおたよりより抜粋)
はなしそれますけど、
こういうすごい感覚や豊富な知識で絵を分析されると
ほっほ~ん、そうだったのかあ。
と 自分の かいたもののことをおもうばかりで
なんかふしぎなかんじがする・・・・・・・・・
青木さんが、くださるおたよりは、
まずその明瞭な言語のきれあじにびっくりするのですけど、
まことに勝手ながら、
描いちまったものへの肯定と
これからへの励ましに満ちたエールにきこえて
うれしい。
こどもか。自分。
いいじゃないか。
これからもこうやって更地で右往左往しながらかこう。
いまでは
えほんのことだけでなく、
青木さんのさまざまな評を読むのが刺激的にたのしみです!
いつもほんとうに感謝です!
おたよりのさいごに、こう書いてありました。

待っていて、よかった。

ありがとう。
もうビール飲んじゃおう。
あと、こういうひともいる・・・・・・。

理科ハウスの学芸員!

できたほんもってぶらっと遊びにいったところが、
ものすごく混んでたので
タッチアンドゴーで帰るつもりが
なんか知らんがたまたまモーゼが海割るみたいにしじまがおとずれ、
それまで、すてきなトークで小学生とわたりあっていたのが、
「じゃ、ちょっと見るかな」
なんつって、目の前で絵本を見始めるという、
暴挙!
やめてくれ、山浦学芸員・・・・・・・
と、入る穴を掘ろうとしていたら、
彼女は、
ここ、っていうページで、
うわはああああああああ・・・・・・
と 大きなためいきついて 空を仰いで
(ただしくは理科ハウスの天井を仰いで)、
急に真顔になってこっちを向くと、
「あ。いまのは、きょうのビールを最初にひとくち飲んだ時の あ~。と同じだから。」
って、
それは、
最大級の賛辞って知ってるか!おい!
と、
念のために確認すると、
「そうだよ。」
と けろっとしている。
・・・・・・尊敬する理科ハウス、いつもほんとにありがとう。
ばら売りで置いてもらっている逗子のととら堂で、
「パラ見して気にいったから買ったぞ!
俺が描きこまれていない!以上、厳しい批評。」
というメッセージをくれたNYさん。
逗子海岸をこよなく愛するあなたからのこの一撃で
わたしはビールをとりあえずジョッキで3杯のんだぜい。
うれしかったぜっ!
それから、
いつもいっしょにえほんをつくっている、至光社の編集さんも
おさえをとりはらったあとがきをかいてくださり、
わたしはそれを読んでから胸がつまって、
3日ほど、
口がまともにきけませんでした。
なにをかきたいかだけで いつもあたまがいっぱいの
勝手な作家がやることを
えほんを手にとってくれるおこさんたちへの
明確なメッセージに着地させてくれるのは
いつも編集さんがたです。
至光社編集さんのあとがき
さまざまなときと
ひととのご縁をかさね、
ようやくできあがった、
いまだからできた、
とてもしあわせな本になりました。
ほんとうにありがとうございます。
いつものことですが、
つくづく、
ひとりでやっているのではない、
と おもえて、
たいへん さいわいです。

またきっとさこううみのいえ