『君はどんどん 大きくなって  僕はだんだん 小さくなって』 のこと

2013年11月21日(木)

 

北海道発のプロジェクト君の椅子から

震災の日の東北3県うまれのあかちゃんに贈られた『希望の君の椅子』。

そのことからうまれた 手記集がこれ、

『君はどんどん 大きくなって  僕はだんだん 小さくなって』 です。

(希望の君の椅子のこと手記にはじめて出会った日のこと 日々記

君はどんどん大きくなって僕はだんだん小さくなって

 

 

 

 

 

 

 

君の椅子プロジェクトによせられた、

311生まれのみんなのおとうさんおかあさんの記憶のおたよりは、

プロジェクトの熱意で、一冊の本になりました。

本にまとめられるまえ、朗読で一部を聴くことがあって、

それは 厳冬北海道美唄のうつくしさときびしさとあたたかさとともに

一生わすれることのない情景になったのですが、

非売のこの本を、ご縁で手元にひとついただいたのを

ひとりでしまいこんでおくことができず、

いま、くらしている街ですこしずつ 朗読のつどいを始めています。

おせわになっている古書店、ととら堂さんにまず話し、

お店でときおり開催している、

おとながあつまる夜のヨミキカセ会で、10月の半ばに

地域の朗読会に所属するすてきな読み手 かおりさんにおねがいして

読んでいただきました。

「やまざきさんがよめばいいじゃないですか。」

うちあわせで ととら堂さんはそういったのすが、

「よめません。」

と固辞。

まずは10人ほどの小さな会でしたが、

美唄でわたしがそうだったように、

みなさん身じろぎもせずきいてくださいました。

夜なのに、小学生のお子さんを連れていらした方があって

がまんの時間になるかな、と案じましたが、

彼らもずっと、じっとききいってくれていました。

読まれたのは福島のおかあさんの、美唄でも読まれた1篇。

かおりさんのあたたかではりのある声は

どこかなにかをこらえながら懸命で、

もうそのことだけで 伝わるものが変わってきます。

朗読のあと、時間をわすれて語り合いがつづきました。

君の椅子を、なんとなくきいたことのあったひと、

はじめて知ったひとなど さまざまでしたがでしたが、

響いたものはほんとうに大きく、

いのちを ことほぐ、ということ

ここにある日常は あたりまえなのではなくありがたいのだと感じないではいられないなど、

いろいろなことをくちぐちにおっしゃってました。

とおい北国のこと、

または被災地でのこと、というのを超えたところで

届くはずたと信じた自分ですが、

まちがいではありませんでした。

正直、ほっとしました。

夜のヨミキカセ

 

 

 

 

 

 

(ヨミキカセ会特製コマ。いいおみきおさん作)

 

そればかりか、ととら堂ったら、

いつのまにかじわっと輪をひろげていました。

ととら堂さんは、市内の池子小学校PTAから、「アースデイ」という名の

環境や地域交流とか被災地支援とかの催しへの出店を打診され、

ちょうど夜のヨミキカセ会で

この手記を読むプログラムをやってみることを話したそうなのですが、

なんと。

そのアースデイの企画運営に携わる泉さんご夫妻が、

君の椅子の存在だけは知っており、

アースデイでの読み聞かせと朗読の中に、

手記もぜひ参加してほしいと希望してくれました。

おとうさん泉さんはプロフェッショナルのナレーターですが、

読んでくださるのは 泉さんの後輩、やはり朗読のプロの かゆさんです。

うちあわせで かゆさんは

黙読するだけで涙が出る。

というのでわたしは

「だから自分では読まないのです。よろしく。」 と

またも もうしあげてお願いしたのですが、

11月16日。当日かゆさんは朗読を始める前に

なんど練習しても涙がこらえらえない。

と ちょっと困っており、

それをきいたわたしは、

それはだって きっと だれが読んでもそうなのだと思います、

かゆさんで3人目だけれどって、

また美唄の夜のことをはなし、

「だから わたしは読まないのです。プロジェクトのかたも読めないっていってます。

プロの方に頼るほかないのです。そしてきっと、こらえなくていいのだと思います。よろしく。」

と もうなにを言ってるんだかわからないな、自分は。 とおもっていると、

かゆさんはじっと

ものすごくすきとおったまなざしをまっすぐわたしに向けてうなずきました。

今回も席数は10人ほどがやっと、

しかも体育館じゅうに小学生がうろうろしているという

少なかなぬ喧噪もあったため

実をいうと、どうなるかと思ったのですが、

杞憂でした。

 

かゆさんいわく、読むほどにえらべないというなかから

かゆさんが選んだのは3篇、

美唄でもきいた、福島の役場でおおきな祝福につつまれたおはなし。

震災で娘さんをなくされたかたに祝福をうけたおはなし。

見知らぬかたに「生まれてくれてありがとう」と声をかけられたおはなし。

そしてプロジェクトの代表磯田さんがかかれた、あとがきの抜粋でした。

あとがきには、君の椅子のこころと、希望の君の椅子に託したおもいが

つづられているのでした。

プロだからとはいえむっちゃいい声の泉さんが朗読の始まりを告げて、

各所でイベントがつづいている体育館のあちこちからあつまってくださった10人ほどをまえに

朗読をはじめたかゆさんのうしろで

聞いてくださる方々をながめなながら、わたしは

「ぼくもききたい。」と やってきた夫とならんで耳をかたむけました。

ざわついた体育館なので、マイクもつかいましたが、

おどろいたのは

さわがしいなかで

ちゃんと耳をすますと ひとは

目も 見開く という発見です。

ほんとうにみなさん全身できこうとなさっていました。

案の定、

かゆさんはところどころで声がつまっていましたが、

3つを読む間、

今回もおとなにまじって やはり目をみはってじっときいている小学生がいました。

立ったまま、ふたりの おとうさんとおかあさんが、

それぞれ赤ちゃんをせおったまま、

ほとんど微動だにせず、さいごまで きいていらっしゃいました。

赤ちゃん二人は おとうさんおかあさんのせなかで

ちいさな手をひらひらさせながら ずっといい子にしていました。

ふと見ると、となりの社会福祉協議会のブースで

小学生に「おたがいさまキーホルダー」を作る指導をしていた男女若者2名が

正座して ききいっていました。

蝋人形のようになってきいていたあるおかあさんは

朗読がおわると

かゆさんに

「わたし、東北の出身なんです。」

と涙目でひとこといいました。

 

店を出しに来ていた、

2回目の朗読のつなぎ役にもなったととら堂さんは、

前回じぶんの店でのヨミキカセ会のときよりじっくりきけたそうで、

ふだんはなんかこう、彼は浸み出てくるいいやつオーラをかくすべく、

なにかととんがろうとするんですけど (※個人の感想です)

「目でよむよりも 朗読できくほうがなんつうかなんつうか・・・・・」

ってもうとんがりきれなくなって困っていて、

「すごくとどきます。」 と

やっといいました。

ひろがりましたね。

そんなふうにもいって ゆらゆらしてました。

共感してくれて紹介してくれてありがとうございます。と

あらためてお礼を 言ったのですけれど、

いや、べつに おれは なにも。

って

まあ、照れてしまうのは思った通りのととら堂。

 

おわってから かゆさんは いうのでした。

「 じぶんはまだ、こどもがちいさいということもあって

被災地に対してなにもできていないことを

ずっとうしろめたく思っている。

それにいま、東北とそれ以外のところの温度差もものすごく感じている。

この本を朗読するという役割をもちたい。

わすれてはいけないことを わすれないように つないでいきたい。」

そんなわけでかゆさんと近々また会って、

これからのことを相談することにしています。

すてきな方々に託すことができるかもしれません。

そのことをまたここで報告できますように!

 

どうしても、というきもちで

プロジェクトの了解をいただきながらもほぼ勝手に、はじめた手記の朗読会。

大きな一回きりのイベントにしたくない、

小さくくりかえし、さざなみみたいにじわじわと

広がってゆくことがなによりものぞましい。

やってみなくてはわからない、とどくのか、わからない、

でも やらずには いられない。

そんなことをうにゃうにゃともちこんで

ととら堂さんと相談し始めた時の期待はかなり漠然としたものでした。

それが どうでしょう。

はじめてみたら、思っていたのよりもはるかにつよく、しかもはやく、

確実にしっかりとうけとめてくださる方との出会いがあって

それこそじわじわとひろがってゆくのが目に見えるようで、

ほっとしますし、

しずかに感動しますし、

大きな希望さえ感じて

胸がいっぱいになります。

 

ここまでの一連の朗読会やうちあわせのなかで、

震災以前の年だけれど誕生日が3月11日というおじょうさんをおもちの、

おかあさんに会いました。

おかあさんは、

震災当日はもちろん、

これからもこころからこの日を祝えないのではないかと

ずっとひっかかっていたそうです。

それも、

手記のおかげで

ちゃんとよろこび祝おうという気持ちをとりもどせた!

と目をきらきらうるうるさせてました。

そのことを伝えたら君の椅子プロジェクトの方が、

ものすごく感動していました。

まだまだ、多くのかたがそれぞれの心情をたたみこんでいるのだということを

この手記がおしえてもくれる、と。

君の椅子通信

 

 

 

 

 

 

 

希望の君の椅子。

きっと被災地にも希望を灯をともしたのだと信じることができます。

そして 君の椅子。

すべての「いのちを ことほぐ」この想いにふれることは、

生まれるということ、生きるということ、そのことのさいわいと祝福をあきらかにし

あらためて はっきりと気づくことで

だれもが希望を糧にできる一瞬にほかなりません。

 

と、

きょうは 言いきってみました。

 

朗読会はまたかならずととら堂ほかどこかで!

 

君の椅子通信

 

 

君の椅子通信より。

これが

希望の君の椅子。