◆舟を 繕う。
湖にただようための小舟の底が 空気漏れをおこしている。
連れて帰って 室内にいれて、修繕する。
穴を接着してのち
ためしに空気をいれる。
おそるおそる、めいっぱいにいれる。
サーフボードのような、底のパーツだけなのに、
目の前に 舟が現われる。
ためしに 乗ってみる。
ついでに そのまま午睡する。
まぶたの裏に
湖が あらわれる。
◆底部のくうきもれは修理できたように思われる。
側部、上部などもくみたてて、
すべてに空気をぱんぱんにいれ、
総合点検をしておこうと思う。
舟あそびは毎夏最大のたのしみだ。
生きるよろこびと言っていい。
◆問題は
帰宅後の片づけだ。
空気をぬいた舟は、
小さいと言っても全長4メートルある。
くたくたと脱力しており寝た子のようで
しかも めったやたらに重たく、
砂をはらったり水滴を拭きあげたりしていると、
ワニと格闘するとは こういうことなのではないか、と
妙に気持ちがたかぶってくる。
◆おのれ。
赤ワニめが。
◆ハラグロセアカワニめが。
◆あせまみれになってしとめる。
◆空気をいれる。
呪文がわりに息をつきながら
ワニを舟にする。
◆びびでばびでぶ。
◆いちにち、放置してみよう。
場所をとってしかたがないので
舟にはいって午睡しよう。
◆まよなかも 舟のままでいて。
◆本日より、
レッドアリゲーター号と称する。
◆おかのうえで やねのしたで
ちらかった部屋を対角線に占拠して、
舟は、眠っている。
◆来年も、然別へつれていこう。
北岸までいっしょにいって、
上陸してみよう。
そこで珈琲をわかしてのんで、
ちいさくうたいながら 帰還しよう。
◆そう いってきかせる。
◆おやすみ、レッド。
◆雨の止み間に、
近所のおんなこたちが はだしで外へ躍り出てきた。
身の丈の倍はある棒をふりかざして、
魔界のクリスタルなんとか、
女王のなんとか、と
声をはりあげている。
芝居の稽古のようだけれど、
彼女らはまちがいなく現実のなかで叫んでいる。
棒がさししめす先の雲が猛烈ないきおいでながれてゆく。
◆レッドはもう すっかりいいようだ。
◆午睡は失敗だった。
舟にからだがはまり込んで微動だにせず
小一時間は寝ていたのではないか。
目覚めの気分も体調も最悪だ。
舟酔いだ。
納棺されるとこんな感じだろうか。
三途の川で舟酔いするおそれがでてきた。
◆おのれ、赤ワニめ。
◆ひとりでは外出できない父の誕生日に
電話をする。
祝いをのべ
このところ訪問できていないことを詫びる。
気にするな、
ゆうこもいそがしいだろう、
それより
雨がひどくふったり
竜巻が起こったりだ、
むりにでかけるな。
外に出るときはよく気をつけてな。
◆おだやかに晴れた日にだけ、
会いに行くから、
しんぱいしないで。
◆とうさん、いつも
ありがとう。
◆父のふるさとは
この夏、豪雨で被災地になった。
それでも、いい栗がたくさんなって
無事に出荷した、って
ラジオで言ってたよ。
◆こどものときに
柿も栗も、
盗ってたべたんでしょ。
度胸試しに鉄橋で 汽車も止めたんでしょ。
そのはなしまた 聞きに行くから。
◆汽車は当分 走らないって。
◆父のとおいおもいでの故郷に
みたこともない雨が降ったことを、
どう想ってみたのだろう。
◆川があふれたあたり森がくずれたあたりも
走りまわったろうか。
輪になってどやどやと喧嘩して
巡査に叱られた道は
そのへんじゃなかろうか。
◆一本杉はどうしたろうか。
◆山の向こうを知りたくて町をでて
船で せかいを渡りつくしても
故郷の雨は いまも
父に 降る。
◆街でばったり会ったそのひとはいま
なくなられたご主人の設計したちいさな家に住んでいると言った。
◆主人が病室で設計してったの。
お茶飲みにいらっしゃいよ。
◆手をのばせば全部とどくのよ。
テーブルなんかね、ほら、こう、円の4分の1よ。
そうしないとひとがとおれないのよ。
あっはっは。
◆そうよ~、小屋みたいなサイズよ~。
もってたものは
そうねえ、
5分の4は処分したわねえ、
それでまた
買ってるわね~
あははははは。
そこにいて、建築事務所のね、
スタッフのお昼つくってるのよ。
あ、こないだ、プーシキン行ってきたわよ。
行った?
混んでるわよ~。
◆電話番号を交換してお別れした。
◆そのひとのあたらしいすまいは
きっと船だ。
◆建築家が
あいするひとにのこしていった、
船にちがいない。
◆大きくなったこどもなんて
うちに帰ってこないぐらいでちょうどいいんだ。
と、
指南してくれた建築家のうしろすがた。
◆その船に、のせてもらいにいこう。
◆生きている限り、生きつづけるそのひとのはなしをききに。
◆向かいの宿屋の屋根に立つアンテナの先に
若そうなトンビがとまっている。
そこは、
みすぼらしい猫背の老トンビの指定席だったはずだ。
◆もう一羽。
きょうだいだろうか。
それとも夫婦だろうか。
◆宿屋とうちの間の電線に
若そうなからすが2羽、肩をいからせ頭を下げ、
口を半開きにしてゆらゆらしている。
◆ときおり羽音がするので
ベランダに出る。
空中戦ではないが、
とんびとからすのおたがいが様子うかがいといった感じに
距離をもっていくつかの輪をえがいて飛んでいる。
◆あそんでいるのか。
一触即発なのか。
◆からすにくらべて
とんびには緊張感が感じられない。
余裕なのか。ぼんやりものなのか。
◆老トンビはどうしたのだろう。
向かい風をはらんで、
凧みたいに滞空してあそぶ、
あの孤高のひとは。
◆恵比寿の年にいちどの麦酒祭りで、
となりあわせた 韓国からきたという鉄道関係のビジネスマンと 親善する。
麦酒、うまいっすよね~!
このプレミアムミックス、最高ですよね~!
え~~~?!
全種類飲んだんすかあ!
すごくないすかあ!
と言いたいのだが、
ものすごくしどろもどろだ。
えいごだ。
さいごは日本語だ。
相手もハングルだ。
メニュー写真指差しとスマートなフォーン駆使して。
何度乾杯したかしら。
◆むりにくるな、と父にいわれていたが、
台風が過ぎたのをみはからって
施設を訪問する。
おそくなってごめん、台風すぎたから、きたよ。
そう背中から声をかけ、
ふりかえった彼の笑顔。
日がのぼったかのような。
◆ほんとうに、ごめん。
◆おとうさん。と 夫が父にいう。
おとうさんはもうぼくの唯一の親なんですからね。
元気でいてもらわないと。
まずは、オリンピックです。
◆いいやつだ。
そして 東京オリンピックの、ただしい利用法だ。
◆しかし ふたりとも 飲みすぎだろ。
◆夢をみた。
ていうか やたらにみる。
くつをぬいで部屋にはいるつもりで ちいさな扉をあけてくぐると
そこはくれなずむ都会の街並みだ。
レンガ造りの建物が土地の起伏に沿ってならび、
植栽も整っていて、なかなかうつくしい。
わたしはなにかをめざしていて 歩きだす。
方向も進路も なにひとつうたがわずゆくがゆくがゆく。
ちっともたどりつかないが、
ときおりあたりをみまわして、
まわりのひとたちがみょうにきゃあきゃあとさわぐのをきくと、
ああ、こっちでいいのだ、とその群れのうごきにさからって またゆく。
ふと思い立って、
道沿いの芝生の斜面をすべりおりてみた。
脱いだつもりの靴を いつのまにか はいており、
しまった、靴をはいたまま きてしまったわけかあ、
とほんのすこし反省するが
きっと靴底がよかったのだろう、
ものすごくうまくすべりおりることができて、
たいへん満足したのだが、そこはやはり目的地ではない。
どこでなにをまちがったかな、と
考えたところで目が覚める。
◆よく寝るのはすずしくなったからだと思う。
めざめてもすぐにおきあがらず
2度寝しては夢をみる。
◆2度寝ばかりではない。
ちょっと墜ちるようにして午睡したら、
そのときは コンサート会場をさがしてうろうろしていた。
はなうたをうたっていた。
◆さがしものは まず みつからない。
◆成人した子どもらが 家をでたりはいったりする。
その母親は家事のペースが一定しないのを ひどくいやがるたちだ。
子どもたちに似て たいへんわがままなのだろう。
決して勤勉ではないのに、
仕事時間が最大24時間/日まであってもいいと思っている。
家事は料理と家いじりDIY以外は全部なくなればいいのにと
まいにち願っている。
◆でたりはいったりするのは ついたりきえたりとおなじだ。
いなければ 母親課程は卒業状態だ。
いればいたで、おかんはいっしゅんで操業する。
どうよ、つかれてないの?ちゃんと食べてるの?寝てるの?
牛乳のんだの?たいへんだねえ、いってらっしゃい。気をつけて。
ほれほれ、がんばって~。きょう何食べたい?
◆一定しないということは段取りをいちいち考えるということで
それがひどくめんどうだ。
しかしそのめんどくささにも慣れるものだ、かなしいことに。
◆3日くらいを一単位にするとそれができる。
◆独り旅にもでる。
◆そこでまた独り居酒屋にはいろう。
◆向かいの旅館の屋根のアンテナにとまっている若いトンビを
きょうはすずめたちがならんで眺めている。
ヤマボウシはもう、葉を落とした。