2018年2月23日(金)
節分をすぎたころより家に乳飲み子がいて、
なにもかもがそっちもってかれる、
あのしあわせな日々を四半世紀ぶりにすごしています。
とはいえ
わたしが母親ではないので
「なにもかもそっちもってかれる」というのは
ひとつ、いいわけでもあります。
わかい、新人母親には
「そうやって抱っこばっかりしてないで
ちゃんと描かんかい!」
などとしかられながら
ぼそぼそと描き進めている至光社こどものせかい7月号も
しあがりが見えてきました。
ひさしぶりのあかんぼうに
かーいーなあ。
なつかしいなあ。
とうっとりするのはもちろんなのですが、
大きなタオルにくるんでだっこしていると、
自分が若い母親だった時とはまたちがう、
たいへんなさいわいがこみあげます。
繰り返し読む
「センス・オブ・ワンダー」(レイチェル・カーソン著) は
こんなふうな書き出しです。
「ある秋の夜、わたしは1歳8ヶ月になったばかりの甥のロジャーを毛布にくるんで、 雨の降る暗闇のなかを海岸へ降りていきました。」
著者は、甥(実際は姪のこどもだそうですが)といっしょに
荒れ狂う海を前に立ちすくみ、
不思議にも心の底からわきあがるよろこびにみたされ、
いっしょに笑い声をあげるのでした。
ロジャーにとっては初めての、
レイチェルにとっては何度めか数え切れないほどの
「大洋の神の感情のほとばしりにふれる機会」の興奮を、共有したのです。
なんてすばらしい、人生の瞬間なんでしょう!
孫がうまれました。
じぶんが、「なんだかよくわからないけれど無性に こころ うばわれる世界」を
のんびり勝手に描いてきたつもりですが
これからは 「わたしのロジャー」を想いながら
絵にしていくことにもなりそうです。
その世界は、
小さかったわたしのこどもらといっしょに心震わせた
あれやこれやでもあるのです。