石巻、女川へ

2017年4月20日(木)

桜満開の石巻を訪れたのは2度目です。
震災時には多くの方々の避難場所だった日和山の桜は、
津波の大被災地区・門脇や南浜を見下ろすように咲き誇ります。
満開になると、それら地区への山からの眺めを覆い隠してしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話はちょっとさかのぼりまして4年前の春のことです。
一人で訪れた早春の石巻・日和山から、門脇南浜や太平洋を見下ろしていたら、
地元のおじいさまに話しかけられました。
ここの桜はすごいぞ、震災前は夜間にライトアップされ、昔っからお花見宴会場だった、俺が二十歳の頃は場所取りに行かされて朝から酒飲みながら待っててな。
と懐かしそうに話されるので、
ライトアップ、いつかまたするのでしょうか。と尋ねた答えはこうでした。

「もうできねえだろう。2度と。」

しばらくおしゃべりをした後、私は一人で日和山を降りました。
避難路でもあったはずの坂道と階段をおり、
髑髏のようになってしまった小学校の脇を抜け、
(けれども!校庭ではお子さんがたが野球に興じていました!)
何もかもが失われた門脇地区を歩いて打ちのめされたことを忘れたことはありません。

その年の秋、今度は夫を誘って門脇を歩きました。
夫は、枯れ草に覆われた『元の街』から日和山を見上げ、
なんとも言えない顔をして
ゆっくり山を指差すと、
すぐそこじゃないか、すぐじゃないか、
あそこに逃げてさえいればと、どれだけの人たちがここから思っただろう、
あんなに近いじゃないか、
ここが、生死の境界線でさえあるじゃないか、と繰り返しました。
「日和山は、桜がすごいんだって。」と伝えると、
夫は黙り込みました。
そして山を眺め続けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

桜を描いてみてほしい。と
震災後親しくなった石巻の友人にさらりと言われ、
満開を狙って石巻を訪れたのはその2年後、一昨年のことです。
その時の日和山は、それは見事な桜の森でした。
門脇地区は復興大工事が始まっており、
下りて歩くのははばかられるようになっていました。
せめて日和山からと思いましたが、
驚いたことに
満開の桜がそれを阻むのでした。
たっぷりとした桜のあいだから見えるのは
穏やかなあおい海原と空だけでした。
そのことにひどく哀しくなりました。
けれども
石巻の友人と一緒に桜の下に座り春の日を浴びているうちに、
それまで石巻を訪れるたびに感じていたこととは違う何かを想いました。
行き交う人々の
ほんとうにほがらかな笑い声や
近くの女子高の新学期のクラス写真撮影の賑やかな群れの
何もかもを圧倒するような若い明るいエネルギーや
呆れたように号令をかける半笑いの担任の先生の声。
お弁当を広げる親子連れ。
走り回る幼いかたがた。
お花見用に用意された特設のゴミ箱。
桜は淡々とただ繰り返し咲き続けることで、
そしてこの時ばかりは喪失の風景をそっと覆うことで
そのことを優しく忘れさせ、
悲しみを抱えて生きるこの街の人々の
背中を押すのかもしれないと
ふと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

今年。
3月の自分の個展や、あんな用事こんな用事を片付けているうち、
石巻へ行くのが少し遅くなりました。
そのことが幸いして、
たまたま満開の桜に迎えられました!
「優子さん運がいいや。」
石巻の友人が笑いました。
満開の少し前の週末には
ライトアップもあったのを知りました。
いつかのおじいさん、楽しまれたでしょうか。
門脇側から久しぶりにゆっくりと長い階段を日和山へ登り、
ひらけたような山の上で
桜に負けないくらいのたくさんの人々を見ました。
咲いたねえ。
ゆうべの嵐をよく耐えたねえ。
俺、何年ぶりかなあ、日和山の桜。
そして
やっぱり今年も桜は失われた街の眺めを覆い
花の向こうからは
大きな槌音が、うみねこの声やヒバリの声と一緒になって聞こえてくるのでした。

「うん。忘れていることが多いかな、震災。」と
その夜友人が言いました。
震災のボランティアで石巻にやってきて
そのまま居ついた青年が開いたとても美味しいお店、
お客さんの賑やかな話し声や笑い声と、
この街はほんとうに食材が美味しい、と語る
スタッフの皆さんの、
魚の話。牡蠣の話。ホヤの話。ふきのとうの話。
そんなこんなに交えてふと。

翌朝、
ひとりで女川まで出かけました。
2年ほど前にようやくオープンした駅前の商店街は
行くたびにお店が増えます。
そのことにわくわくさえします。
しかし、住宅地の整備はまだまだで、
女川駅や商店街を囲む山の高台造成は一体いつになったら完成するのだろう。
それでも街は確実にあたらしくスタートしているのだと思わないではいられません。
1000年に一度の津波であったなら
1000年に一度の復興をしよう。
女川は流されたのはない、新しく生まれ変わるのだ。
街のあちこちや、印刷物にちりばめられているこんな言葉に
わたしは励まされさえします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「女川、商店街はだんだんだけど、家はいつなんだろうね。」
石巻に戻り友人にそう話すと、
帰るのを諦める人も多いし、
待てずに亡くなった人も多い、女川はまだまだまだまだ大変だし、
石巻もまだ仮設にいる人たくさんいるんだよね。
熊本も一年だね。
福島はいつのことになるんだろうね。
気に入っている服のこと、
最近行ったライブのこと、
これから行くつもりのライブのこと、
しごとのこと、
大人にはなったものの色々と気がかりなお互いの子どもらのこと、
そんなこんなに時折織り交ざりながら
ぽつらぽつらと
震災の話は続いたのでした。

石巻の桜満開。女川の芽生えの活気と独特のユーモア。
おおきな破壊と喪失に遭い絶望と不安の底にあっても、
ひとは日常を積み重ねながらこうやって時を刻んでゆくのだと、
今回はまた一つギアが上がった思いです。
何をしに行くでもないですが
繰り返し、今では好きで行っているとさえ言える石巻女川。
1000年に一度というのならその今をたまたま生きていたのも縁、
きっと太古から繰り返されてきた災害とその克服の本当の意味を垣間見たり
そんな長い時の中でいったらまばたきみたいに一瞬でしかない自分の人生を
なるべく薄っぺらくしないでいるために
感じ続け考え続けたいなあと思いました。
そうやって少しでも自分の感情や思考にしようすることは
今ではない過去のことや、ここではないどこかのことや、自分ではないだれかのことや
誰も知らないこれからのことへの

リアルな想像にも繋がってゆく気がします。
自然災害はおてんとうさまのなさることゆえ防げませんが
起こさずにすむ、ヒト由来の大破壊はあるのにな、と考えずにもいられません。

あと、
今回うっかりしすぎて休業日を確かめず
訪れられなかった蛤浜のはまぐり堂。
あそこに凝縮されたさまざまは
胸の奥底の静かな水に
そっと降ってくるひとつの花びらのように想う時があります。
きっと次回は。

では今夜はホヤと牡蠣のオイル漬けで乾杯。

 

 

 

 

女川でゲットしたうまそーなオイル漬けと、ここ数年愛用の元大漁旗の石巻グッズの一部。また買い足しちゃった( ̄▽ ̄;)