海のこと

2017年2月23日(木)

ポンポロッコの森で

海を知っているのは旅がちなきつねだけです。

うみ って、どんなの?

みんなが 尋ねると

うみは そらのつづき。 とか

だんまり沼よりおおきい水場。 とか

うみの はしっこには、すなとの「あわせめ」がある。

などとそれなりに一生懸命伝えようとします。

森の砂地にくらすうさぎは、きつねのことばをたよりに、海に想いを馳せます。

わたしたちが 浜、とくに波打ち際と呼んでいるその「あわせめ」のあたりは、「さかいめ」といったほうががピンとくるくらいで、いくらうさぎの想像力をもってしても、また、ミナミナも迷い込む妄想ひろばの砂地にあっても、なかなかその境目をこえて海を想うことはむずかしいような気もします。

うーん。どんなんかな。うみ。


わたしがときおりおじゃまする石巻の高台には、宮沢賢治が高校生のとき生まれて初めて海をみた地点として、その際の興奮が詩碑に残されています。
海辺ぐらしのわたしは、その詩碑の前に立ったとき、あこがれをもって海を初めてみるということが、こんなにもひとのこころをゆさぶるのものかと、うらやましくさえあり、賢治の興奮にたいそう興奮したのでした。

きつねは、

海が恋しくなると旅に出る気がします。

そして、さみしさに はっとすると、

ポンポロッコの森へ ぎちぎちと 帰って行きます。

きまますぎるくらしですが、そんなきつねのおみやげばなしは 森のみんなの大好物でもあるのです。

沖に白波。浅瀬と深みの境界線でしょうか。いねむりしてると流されるよ、きつね。