ごく最近知り合った、とても若い編集者さんによれば
私の絵の前では五感の記憶が呼び覚まされる。「待つ」ことを学ぶ。
とのことでした。ありがとうございます。
夏からここまで
心身リフレッシュリセットリブートの日々を過ごしましたが
その一環で古い書きものとかメモとかを片付け半分にながめていたところ
もう30年以上まえからわたしは「待つ」とか「たたずむ」とかを
なんだかかなり強固に反復していたことを発見しました。
それはちょうどおさないこどもらを3人育てていたころで、
世間とか社会とかから取り残されているような気持ちにもなりがちな自分に、焦るな。と言い聞かせる意味もあれば、
流されないようにじっとしているにもちからは必要と悟ってなんとかふんばってたたずむひとになった結果、光や風やうつろいが自分をすぎていく日々に満たされてゆく記録でもありました。
思えばそんな絵本や絵しか描いてきてないな~と、一貫性にあきれます。
けれども先ごろ何かで読んだ作家・保坂和志さんによれば
一人の作家が作品に持ち込める、込められるものなんてせいぜいひとつかふたつ。
ということなので、そこであらためて大きく納得しました。
しかたがない。「待つ」「たたずむ」がしみこんだままでまたいろいろを描いていこう。と
思う今日この頃です。
なにごとも速い、はやくはやくとせかされる世の中ですが
これから生まれてくるであろう絵の前で、絵本をひらいて、あ~。と、ひととき、たたずんで
何かが呼び覚まされるのを待ってくださるとさいわいです。


