そのひとのはじめての大花火。

2018年6月7日(金)

ちいちゃいセーターを洗いました。

夫の母が、長男の初めてのクリスマスプレゼントに編んでくれたものなのでこう見えてもなかなかの年増。

おかげで長男はあたたかくおめかしして年越ししました。

娘は生まれた時、これを着て退院しました。

末息子は、彼が生まれて間も無く他界した夫の母の葬儀に着ました。

そして、この春先、このセーターで娘が赤ん坊をほっこりつつんで、産院からうちに帰ってきました。

押し洗いしながら思っていたのは、セーターさんの来し方と、ひいおばあになった夫の母のあたたかい大きな手。

毛糸の服を着る季節がまたくるなんて信じられない。

と毎度思う暑い夏も目の前です。

先日逗子海岸は早々の花火大会でした。

娘おやこもやってきて、家のベランダからながめることにしたのですが、

花火が好きすぎる新米ママ、こんな日くらいは赤ん坊の世話ざんまいからしばしはなれてもよいでしょう、

わたしが孫を抱いていることにしました。

家から浜はすぐそこ、

近所には花火の音が怖くてたまらないという幼子さんやわんこさんがいます。

このひとはどうでしょう。

もう寝返りもうつ筋力で手足を四六時中ぱたつかせている命のかたまりを腕の中にして

楽しみなような心細いような気持ちでいると

定刻となり遠慮なく、のっけから大玉が上がり、

孫は びっくりしてからだをかたくし、

わけわからんという感じでぷるぷるしていましたが

間をあけて大玉が3発ほど続いたところで

泣き出しました。

気にする娘に、大丈夫だから、なんとかするからと、

小さいその人をぎゅうと抱きしめ

怖いかい、怖いのかい、あれは怖いものではないさ、と なぜかわたしは北海道弁、

家の中に「避難」して窓を閉め、音を遠ざけながら

胸が痛くなるような少し泣きたいような気持ちになり、

また孫をぎゅうとしました。

あれは怖くない、怖くない、花火だもの。

お祭りだもの。

みんなうれしいんだもの。

そのうちに孫は音に慣れてきたのか

たいへん落ち着いたので少しずつ窓を開け

ゆるい心持ちでいるのを確かめて再び外に出た頃、

花火は終盤、逗子自慢の15分間上げっぱなしの乱れ打ち。

ラスト大玉の、夜を金色に染めてひかりのすじが

天空からゆっくりつつみこんでくるようにふるのにつつまれて、安堵とさいわいでいっぱいになった胸のなかで

気がつけば乳飲み子はスヤスヤ寝入っておりました。

思うことはどうやら同じで

夫は眠ってしまった孫をなでながら言いました。

「よかったなあ、よかったなあ、あれは爆弾なんかじゃないんだ。」

小さいいのちをめぐるいとなみの、母親父親の立場がインコースの一周めなら、こんどは遠回りの2周め。

それはとてもあたらしい経験だと感じます。

しだれ柳風のきんいろの大花火みたいにきらきらゆらゆらしたきぶんで

この子をおもい、

その向こうの、「たくさんのこの子」をおもって

くらしたり描いたりしような。

とおもいます。

またひとつ役目を終えたセーターさん。

ねえ、くま。花火って知ってる?